人より優秀でなくてはならない

TMSという病がある。

それについて調べていくうちに、自分の人生を振り返る必要が出てきた。

思い出す限りここに記そうと思う。

殴り書きになってしまうことを勘弁願いたい。

 

幼少期の呪い

よく"小さい頃に親にかけられた言葉"で人格は形作られると言われている。

それに沿って小さい頃を思い出してみる。

 

普通の子供と同じようにわがままで泣き虫で、虫やおもちゃが大好きだったことは間違いない。

 

ただ今ふと思い出すのは"わりかし万能"な子供だったということだ。

(嫌味として伝わってしまったら申し訳ない)

 

母親はどちらかといえば教育熱心な方で、いい大学に行くべきというタイプ。

父親は家業を継いだとはいえ大学にも行っていたようだが、好きなことをすべきというタイプではあった。

 

その組み合わせで僕はどう育ったかというと、とりあえず色々な習い事をした。

体操、水泳、ピアノ、公文式、習字、そろばん、学習塾、思い出せるだけでもこのぐらいは通っていた。

(ただ僕の継続性のなさは当時からで、大体は数年で辞めていたが)

 

また、6月生まれということもあり体の成長も周囲より早かった。

つまりどんな子供だったか、というと

足が早くその他のスポーツも大体平均より上(球技は除く)

勉強も数年先に学ぶことを先んじてやっていた子供だった。

簡単にいうと運動も勉強もできる子だ。

 

当時はそれをよく褒められていた気がするし、それが嬉しかったと思う。

田舎での名誉職は士業とか銀行員とかで、医者になるのかな?と良く言われていた。

 

今思い出せば、自分は特別な存在であり、何をやってもそれなりにうまくいく、という感覚だった気がする。

体も大きかったから同級生に対しては態度も大きかったような気がする。

きっと嫌なやつだったかもしれない。

 

小学校で受験し、中学は進学校へ行くことになった。

 

自尊心の崩壊

さて、ここまでは"井戸の中にいるカエル"だった。

小学校では最終的に学年で一番足が早く、進学校受験組を除けば成績はトップだった。

この辺りから徐々に"自分より何かをうまくやれる同級生"が出現する。

 

小学校の時にすでに片鱗はあった。

運動もできる、勉強もできる。が、当時好きだった女の子には見向きもされなかった。

クラスで一番目立っていた運動も勉強もそこそこできてしゃべるのが上手、野球もうまいという人気者のことがその子は好きなようだった。

"なんとなくこいつには何かが負けている"そう思っていた。

テストの点数が気になることはそれまでなかったが、その人気者に負けた時だけは心底悔しかった覚えがある。

 

 

進学校では、自分より遥かに勉強が得意な人がたくさんいた。

足の速い奴ももちろんいっぱいだった。

 

バスケ部に入った。最初は体が大きいのですぐレギュラーになった。

が、上達はすぐにストップしてしまった。(あの停滞感はとても辛かった)

シュートはどんなに練習しても入らない。体力も一向に増えない。

 

そしてある時大怪我をして、学校の授業をしばらく休まなくてはならなかった。

久しぶりの登校、授業の内容はすでにさっぱりついていけなかった。

 

 

僕が小さい頃、周りより優れていると思えた理由はシンプルだった。

周りより先に初めてアドバンテージをとっていただけだった。

 

 

しかし思春期の僕にはそんなことを気づく脳みそも謙虚さもない。

単純に受け入れられず、プライドだけが高くなっていった。

 

 

バスケ部をやめた。下手な自分を受け入れられなかったからだ。

勉強をやめた。大怪我という素晴らしい言い訳があった。

 

 

ギターを始めた。

誰もやっていなかったし、比較されることもない。

自分が一番うまいことにできる。ちょうどいい。

(もちろん音楽は好きだった気がするけれどいい逃げ道だったとも思う)

 

 

 

このあたりで、顔中がニキビだらけになった。

それまでは彼女ができたり、それなりにモテたりはしていたけれど

このあたりから女子に避けられていたように思う。

(後から聞いた話では理由はもっと別の人間的なところにあったらしく死んだ)

人と目を合わせて会話することもなくなった。

1年中マスクをつけて生活するようになった。

毎日自分の醜さに絶望して、悲劇のヒロインとしてブログにポエムをぶちまけていた。

 

 

 

ここでもまだ受け入れられなかった。

自分が優秀な人間ではないということを受け入れきれなかった。

何かで自分を保たなくてはならなかった。それがバンドだった。

 

 

自尊心の喪失

 

受験で失敗することをプライドが許さなかったので指定校推薦で大学にいった。

(とにかく周りに頭の悪い奴だと思われたくなかった)

なんとなく、色々なことをそつなくこなすキャラクターとして生きていたから。

飛び抜けて優れた何かがない以上、要領のよい人間として振る舞う必要があった。

本気を出せば、こいつはもっとすごいんじゃないか?というハッタリだった。

 

 

大学では全てがゼロからスタートした。

関東から関西の大学へ進学したので、友達がゼロからのスタートだった。

 

 

大学は最初は調子がよかったように思う。

私立文系らしく周囲の人間はほとんど勉強しないため、ちょっと勉強するだけでいい成績をキープできた。

 

 

小学生の時にうっすらと自分の中にモヤついていたものは、

大学生の時に明確なコンプレックスになった。

自分は輪に入るのが苦手である、ということだ。

 

 

小学校の時は何でもできたのでチヤホヤされた。

中高は6年間も一緒にいるので、それなりにうまくやれた。

バンドをやっていたおかげもあっただろう。

(真面目な生徒の中に少し不真面目な生徒がいるだけで目立つ)

 

 

何の肩書きも能力もないまま、人間関係を構築したことがなかったのだ。

でももちろんそれも受け入れられない。

大学の中で華やかに見えるグループ(仲睦まじいグループという方が正しいかも)

をいつしか勉強もしない中身のないダサい奴らと敬遠するようになった(僻み)

 

 

バンドは比較的うまくやっていたが、自分よりうまい人間がたくさん現れた。

いつしかギターの上達も止まってしまった。

他に自分を保つ代替品もなかったので、実力がバレないような曲をやっていた。

 

 

ここまできて、繰り返してきたことを抽象化してみるとこうだ。

1.自分が劣っていると感じる

2.他に何か勝てそうなものがないかを探し、始める

3.比較対象がいないため自分を保つことができる

4.やがて比較対象が現れ、自分が劣っていることに耐えられなくなる

 

 

 

僕はつまり誰かと比較していないと立っていられない人間なのである。

 

 

死にたいと思った時は大体が誰かに無能だと思われた気がする時、

誰かと比較して自分には何もないと感じた時だったと思う。

 

 

 

じゃあ僕はこれからどう生きていくのか。

これから探していくしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"何も続かない"たった1つの理由

 

 

はじめに

 

今回は短い記事です。

僕は飽き性で根性ゼロタイプなので大抵のことはすぐ辞めちゃうのですが、

最近その理由がわかってきました。

もちろんすぐ辞めることは悪いことではないと思ってますが、

もうちょい続ければいい感じになりそうなものもある、ということも分かってきました。

 

何かを続けられないたった1つの理由

https://www.kotaro-yatsu.jp/wp-content/uploads/2019/07/E68890E995B7E69BB2E7B79A-768x483.png

引用:

成長曲線ってご存知ですか? | 他塾で成績の上がらないお子様専門塾 個太郎塾谷津谷津教室

 

ずばりこれです。はい、説明します。

 

アニメや漫画の弊害

アニメや漫画の主人公、だんだん強くなっていくの面白いですよね。

・隠れた才能が発揮され超強いヒーローになる

・強敵と戦ってギリギリの攻防の中で急成長して勝利

・素晴らしい師匠に出会い修行の日々

みたいな描写、とても多いと思います。

 

これが僕たちの理想とする成長のイメージを作り上げていると思います。

現実的に考えてみると、

 

隠れた才能が発揮され超強いヒーローになる

→最初からそんなに強い人、実際はほぼいないのよ。

 あと才能が活きるフィールド見つかるの運ゲーすぎ。

 

強敵と戦ってギリギリの攻防の中で急成長して勝利

→ただのギャンブルです。ギリギリ勝てる相手でよかったね。

 あとそもそも積み上げてきたものがないと生まれない現象だね。

 

素晴らしい師匠に出会い修行の日々

→苦悩の日々を端折りすぎです。

 

 

です。

何が言いたいかというと

"現実世界ではアニメやゲームのような華やかな成長ストーリーは起きない"

ということです。まずはこれを胸に刻んでください。

 

現実世界の成長は遅すぎて受け入れ難い

何かに取り組む途中、成長を感じる瞬間があると思います。

特に初めての物事に取り組む時、最初は成長ばかりで非常に楽しいです。

でも、初級者を抜け出すあたりから成長の停滞を感じ始めます。

ここで辞めてしまう人がとっても多いです。(僕もそう)

 

なんでやめてしまうのか。それは理想通りの曲線で成長しないからです。

僕らの頭の中にはグングン成長する主人公たちの成長曲線が刻まれているので、

現実世界の成長は遅すぎて受け入れ難いんです。

 

すぐにやめてしまう人の心の動き3パターン

この本には大きく3パターンの挫け方が書いてあります。

参考:達人のサイエンス

https://amzn.to/3EvUzRf

 

1.成長快楽中毒

成長する瞬間が気持ちよくて最初はグングン進めるが、途中で停滞が起きた時にその快楽をまた別の何かに求めようとして辞めてしまう

2.成果追求焦燥

成果や成長を強く求めるので必死になって頑張るが、あるタイミングでそれがなくなってしまうと挫けてやめてしまう

3.現状満足飽和

少しやって成長を感じたタイミングである程度満足してしまい前進が止まり、変化が起きずに飽きて離れてしまう

 

つまり僕たちは続けるためにどうすべきなのか

 

つまり僕たちは"華やかでスピード感のある成長"を思い描くのをやめるべきなんです。

そんな幻を追い求めてしまうから、当初の目的を達成しないまま諦めてしまうんです。

 

何かを始めれば必ず停滞がやってくる、しかもそれは成長を感じる瞬間より遥かに長い時間がかかる。

そういうことなんです。

 

じゃあその間ずっと我慢すんのかよ!そんなの無理!

そうです、ほんとに僕もそう。じゃあどうするか。

 

道中を楽しむ工夫をする

 

これです、これなんです。

 

・楽器を触るだけでいい気分だった

・身体を動かしてること自体が気持ちよかった

・いろんなことを知るだけで好奇心が満たされた

 

本来はこうだったんじゃないですか?これを続けられませんか?

 

そうです、幻の成長曲線を追い求めている限り無理なんです。

理想と現実のギャップに心が萎えてしまうんです。

 

結論として

・成長は華やかではないし、スピード感もない、それが現実

・幻を追いかけて、好きなことを手放さないで欲しい

・停滞期は必ずやってくる、成長をモチベーションにしてたら挫ける

・道のりを楽しもう

 

 

以上です。

 

 

 

"毎日だるい"原因不明の体調不良が治るまで

 

はじめに

 

僕は26歳ぐらいの時からずううううっと毎日、からだも頭もだるい日が続いてました。

たまに調子のいい日はあるけど、寝て起きたらまたいつもの通り絶不調。

そんなのが約5年くらい続き、最近ようやく落ち着いてきました。

みんなが同じ原因で"毎日だるい"わけじゃないと思うけど、

もし同じ人がいて救われれば幸いです。

 

僕の今の結論ですが

"自分の身体に鈍感になりすぎていた"

が原因だと思っています。

以下、過去を振り返りつつ紹介します。

 

突然の頭痛

ある日起きたら信じられないくらい右後頭部からの頭痛がひどかったんです。

偏頭痛か〜と思いながら(小さい頃から病院行ったりしてたので)

来る日も来る日もずうううっと痛くて、死にたくなるくらいしんどかった。

(大袈裟じゃないです、同じような経験をしてる人もいるはず)

 

ついに職場で動けなくなり病院へ。

いろんな検査を受けてみたけど"原因不明"。

もらった痛み止めで生きながらえながら、いろんな病院を紹介してもらえど原因は不明。

正直この時期がいっちばんしんどかった。

 

民間療法へ

病院じゃ原因が分からない、ということで一旦放置。

なんとか毎日を過ごしていたものの、あらゆる気力がなくなってました。

好きだったものにも興味が湧かず、毎日疲れている。

諦めてたけどやっぱりなんとかしたい....

ということで民間療法に頼ります

 

・整体

筋肉が原因かな?と思い整体へ。

仕事柄、肩や首が凝ってはいるもののなんでそんな激痛なんですかね〜?という程度。

その日ちょっとは楽になるけど、根本解決にはならず。

あと高いからそんなに頻度高くいけないっつの。

 

・鍼治療

もうちょっと一旦科学とかどうでもいいんで試してみよう、ということで鍼へ。

割とちゃんとしたとこ行ったので、身体は行くたびに軽くなった。

けど結局だるさとか頭痛とかは変わらず。

逆にこの時期から右手とか親指まで痺れるようになってきてた。

一瞬楽にはなるものの、こちらも解決にならず。

 

・運動習慣

身体動かしてないのが原因かな?と思いジムやキックボクシングに通いはじめる。

が、まったく効果ナシ。ただ疲れるだけ、気持ちよく眠れるけれど。

 

メンタルクリニック

心の病が身体に出ることももちろんあるので行ってみた。

けどやっぱり身体がだるいから心もだるいという結論。

先生も、身体から治した方がいいと思いますとのこと。

 

・神社

笑うかもしれないけど、ここまでやってダメなら神頼みだってしますよ。

だって何しても解決しないしめちゃくちゃしんどいから。

でも結局これもダメ。そういうことじゃないよね(知ってたけど)

 

・瞑想

意味なし

 

・ストレッチ

気休め

 

以下略

 

色々と試してみて気付いたこと

ここまで試して、ふとあることに気づきます。

"ああ、俺自分の身体、人間の構造について何も知らないな"

 

まあもうここまでして治らなかったんで、Youtubeとか本とかで人体の構造について調べました。

リンパとか骨とか筋肉とか神経とか。

 

 

そしたらですよ。なんかこう、自分の身体のいたるところに意識を向けられるようになってきたんです。

 

"あ、ここにも筋肉あるんだな"

"肩甲骨ってこう動くのか"

"こことここ繋がってる感じする"

"ここ伸ばすとなんか楽になるな"

 

などなど。そして気づきました。

 

今までは自分がどこがどう痛い/だるいのか分かっていなかった

 

そりゃ医者にも整体師にもわかんないよね。

この辺が痛いんです〜だるいんですって言われても。

だからこの"自分の身体の感覚"って健康でいる上でとっても大事だと感じます。

 

自分の身体の感覚を取り戻す

 

長い間、体調不良や痛みが続いたり、全身がだるかったりするとそれに慣れてしまうので、どこがどう痛い/つらいのかを自覚するのが難しくなります。

 

なのでまずは、身体の感覚を取り戻すことが大事です。

そのために以下をオススメします。

 

・身体の構造を調べてみる

Youtubeで出てきます。さくっと暇つぶしに見てみてください。

 

・いろんなストレッチをしてみる

→なんとなくだるい場所だけにアプローチするとバランスが悪くなったりしますし

 そこと連携している他の筋肉や神経が原因の場合も多いです。

 なのでとりあえず全身のいろんな感覚を取り戻すために、いろんな場所を刺激してみてください。

 たとえば太ももの裏は腰とか首まで影響与えたり、お腹の筋肉がこわばると背中に影響が出たり、胸の筋肉が首とか目の疲れに影響したりしますので

 

最後に

なんだそんなことかよ、という結論だったらすみません。

でも、少なくとも僕はこれでかなりいい方向に進んでいます。

誰かのお役にたてれば幸いです。

 

 

もし、原因不明の体調不良を他のアプローチで治せた方がいればぜひコメントで教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌なことを吐き出す、ということ

昔はいろんなことに文句を言ったり、誰かを責めたり

不平不満をぶちまけたりするのがすごく簡単だった。

 

 

でも大人になるにつれて(こういう表現は嫌いだけど)

いろんな人のいろんな事情が背景が見えたり、

自分が想像もできなかった社会の構図があったり、

何かを一方的に悪く言うことが難しくなった。

 

これっていいことなのかもしれないけれど、

もしかしたら自分の中に少しずつ溜まっていってるのかもしれないと思った。

 

 

言いたいことを言えばいいんだよ、という意見は基本的には嫌い。

誰かをむだに傷つけたり物事が前に進まなくなったりするから。

 

でも一方で、たまには思ったことをそのまま言った方がいいのかもしれない、と思う。

 

 

頭の中に浮かんだことを言葉に出すときに、僕の頭の中では

・誰かを傷つけないか

・偏見やイメージなどが混ざっていないか

・他の側面から見た場合にどうか

・これを言葉に出すことに意味や価値はあるか

などがばばばっと出てきて、それをチェックしていく。

 

きっとその過程で僕の想いや感情はちょっと削られてしまう。

そうなると、それはなかったことになってしまう。

 

 

これってなんか体に悪いのかもしれない、と最近思う。

ストレス、というほど大袈裟ではなくても溜まっていってそう。

 

 

それに感情とかって無視され続けると諦めて出てこなくなる。

何考えてるか分からないとか、楽しい?って聞かれるのってこれなのかもしれない。

 

 

かといって思ったこと全部口に出すのはやっぱり違うなと思っている。

と思いながら、今は思ったことをそのまま書いている。

 

 

ここ数年、感情にフォーカスして生きていこうとは決めたものの

まだまだ理屈に囚われているなと思った夜でした。

どうにもならないコンプレックス

※先に書いておくと、落ち込んで書いてる訳ではなく、ずっと思っていたことをそのまま吐き出しています。私は元気です。

 

 

僕は中学2年生くらいからずっとニキビが絶えず、肌がとても汚いです。

顔から胸あたりにかけて、色が変わっていたり凸凹したりしてます。

 

だから人に見られるのがとても苦痛で目を合わせて喋るのが苦手だし、

水着になることや風呂に誰かと入ることも恥ずかしくてたまりません。

(多分人前で上半身裸になったことって授業以来は銭湯くらいしか無い)

これは人に言えないし理解されないので、時々とても変な空気を生み辛い。

 

ずっと病院にも通ってきたし、民間療法もたくさん試してみたけれど、

結局16年近くほとんど良くはならず、とても汚い肌と生活することになってます。

 

なので僕の一番のコンプレックスは見た目で、人前にたつことや初対面の人に会うことがとても怖いです。

異性と接する時も、気持ち悪いやつだと思われてるんだろうなと思ってしまう。

 

 

この肌についてのコンプレックスは、今まですっと誰にも言わずにきました。

言ったところで状況は変わらないし、ただ気を遣わせてしまうだけだからです。

それに一部の心ない人から、

「生活習慣治しなよ」「病院変えてみたら?」「美容クリニックとか」

みたいないらんアドバイスが飛んでくるのがとても苦痛だからです。

正直肌が丈夫な人が思いつくようなことなんてほとんどやってます。

プロにも散々相談してきてる。でも相手は良かれと思って言ってくる。

だから誰にも言ってきませんでした。

 

 

でも、誰かに知ってもらうことで楽になれるのかもしれない。

直接は言えないけれど、仲のいい人には理解しておいてもらいたい。

と思って書いてみてます。(すぐ消すかも)

 

 

今まで見た目を褒めてくれた人もいました。

でも自分がとても汚いと思っているものを褒められても、気を遣われているようにしか思えないんです。

どんなに好きな人でも、じっと見られたり、汚い部分を触られるのが苦手です。

自分が嫌なのもあるし、それで嫌われるのが嫌だからです。

 

 

ちょっとでも良くなればいいな、と思って色んなことも試しました。

でもはっきり言ってとても疲れました。

どこに行っても違うことを言われ、違う薬を出される。

ネットにある情報なんて何かを売るための誇大表現で、ほとんど信憑性もない。

 

 

どうにもならないことはとてもやる気を失わせます。

どうやったって人を不愉快にする見た目なんだから、人と接する気も失せます。

 

 

思ったより周りは気にしてないよ、とも聞きます。

でもそれはこっちからすると関係ないんです。

自分が汚いと思ってるものを人前に出してることが恥ずかしいからです。

できれば隠したいし、見せたくない。

でも人間と接する以上必ず見えてしまう部分がとても汚い。

だから目を合わせたくないし顔を背けたくなる。

 

 

 

 

とまあ心の奥底にこんな思いを抱えながらも普通にヘラヘラと生きてる訳ですが、

やっぱりたまに顔を出してくるのでとても厄介だなぁと思います。

みんなそれそれコンプレックスを抱えている、というのもよく聞く話なので

今更これに強く嘆く、みたいなことも特になくなってきました。

 

これ書いてみたら案外スッキリしたので、みんなもやってみたらいいと思います。

何かが解決する訳じゃないけど、誰かの気休めぐらいにはなるかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことが分からない理由

若い子の話を聞いていてよくあるパターンていくつかあるな〜

と感じたのでそれを殴り書きします。

 

 

1.やりたいことはあるのにやれないと思い込んでいる

これは自己肯定感が低かったり、自信のない人に多いかな。

心の底に自分でも気づかないうちにやりたいことをしまっちゃってる。

実はあのまま音楽を続けたかったとか、デザイナーになりたいけどセンスないしとか。

なんとなく無理だろうな〜と思ってそのまま諦めちゃってる。

そしてそれは自然と心の奥底に眠ってしまい、自分でもそれを忘れてしまう。

だから自分でも「やりたいことがない」と思ってしまうし言ってしまう。

本当は心のどこかにやりたいことをしまってませんか?と問うてみて欲しい

 

2.やりたいことと将来の夢を混同している

実は僕プロサッカー選手になりたかったんだ!今からやろう!!

と思っても、実際はそれは難しい年齢の場合もあるよね。

でも「プロ〇〇選手」って「やりたいこと」じゃないのよ。

それはあくまで「なりたいもの」であって「やりたいこと」じゃない。

なりたいものとやりたいことを混同してるパターンて実に多い。

やりたいことを続けるために必要な立場や仕事を目指すのは健全だと思うけど、

なりたいものを目指すことをやりたいことにしてしまうと、

なりたい自分になるまでは非常に苦しい時間が続いてしまうし、

もしそれが叶わなかった場合、最悪の人生になってしまう。

 

じゃあやりたいこととなりたいものがどう違うかというと、

やりたいことってのは「行動」のレベル。

なりたものって仕事や役職、成果や評価だから、やりたいことの先に到達するものだと思う。

だから「お金の心配をせずに毎日ひたすらサッカーの試合をしたい」とか、

「仲の良い友達と楽しくサッカーをしていたい」とか、

「日々サッカーの練習を続けたい」とかとか。

ここがどれだけ具体的であるかでモチベーションもかわってくると思うし、

選手にならなくてもいいじゃん、幸せじゃん!と気づくこともできる。

 

もちろんなりたいものがある人生は否定しないし、

そこに強く邁進して叶えた人もたくさんいるので悪い道でもないと思う。

けどそれって実際はかなり少数のつよつよメンタルの人にしか向いてない。

なので「なりたいもの」より「やりたいこと」を探そう。

 

3.現状の自分の世界にやりたいことがないだけ

知ってるものしか欲しいと思えないのと一緒だね。

彫刻を知らない人が彫刻をやりたい!とは思いつけないし、

自分の知ってる世界にやりたいことがないと、

「この世界には自分がやりたいことはない」と思い込んでしまう。

なので世界を広げることもめちゃくちゃ大事だと思う。

もしその本の中に強烈に憧れる仕事や遊びが描かれていたら?

漫画で初めて知るスポーツに異常に熱狂するとしたら?

そのゲームに一生やり続けられるほどハマったとしたら?

飲み屋の隣の人と仲良くなって最高の仕事や遊びに出会えるとしたら?

 

ぜひ触手をいろいろなところに伸ばすことをやめないで欲しい。

それで見つかる最高の世界がきっとある。

 

4.やりたいことを難しく考えすぎている

やりたいことっていうのは「かっちょいいマシンを作りたい」とかでいいのよ。

「毎日粘土をイジっていたい」でもいいし「ゲームの効率的攻略を考え続けたい」とかでもいい。

「ひたすら文字を描きたい」「写真をとりまくりたい」「海外旅行に行きまくりたい」

とかで全然いい。

仕事とか金とか結果とか評価に直結してる必要は全くない。

というかむしろ最初から繋げようとすると濁る。ちょっとズレる。

だから自分が心の底からやりてえなこれ、ということを飾りっ気のない言葉で書き出して見て欲しい。

それがどんなにダサくてもしょうもなくても何も生なくてもいい。

だってそれが自分のやりたいことで、それをやってると幸せなんだから。

 

5.疲れすぎている

昔は楽しかったことが楽しくないとか、いろんなものへの興味がなくなったとか

やりたいことはあっても体が動かないとかは、多分疲れすぎだと思う。

この状態ではやりたいこともやりたくないので、やりたいことがないというよりは

やりたいことさえやりたくないという状態。

この状態で自分探しをしてもネガティブな方向に落ちるだけだし、

無理矢理やりたいことをやるとその対象を嫌いになってしまう可能性もある。

 

なのでそういう時はとにかく休んで欲しい。

休むっていうのはスマホ触っても漫画読んでも映画見てもゲームしてもだめだからね。

脳を使わないってことだから、とにかくぼーっとしなきゃいけない。

ちゃんと食う、ちゃんと寝る、ぼーっとする、で休んで欲しい。

仕事してるとなかなか難しいけど、土日思い切って何もしないとかから初めてみて欲しい。

その土日を無駄にしたくないという気持ちはめちゃくちゃ分かるんだけど、そのままだとその先の人生も疲れたまま呆然と過ぎ去っていってしまうよ。

 

以上

 

 

 

 

 

"なんかやらなきゃ病"が生活を壊す

シャワーを浴びながら、ご飯を食べながら必ず動画を見る

空いた時間が少しでもあればスマホを触る

洗い物や掃除は嫌々すばやくやってしまいたい

何にもしてない時間が耐えられない

なにかしなきゃ、時間を無駄にしたくない

 

今日はこんな人に向けた記事です。

 

 

なにかやらなきゃ病とは

これは自分が勝手に呼んでいる症状だが、

常に頭の中に"何かやらなきゃ"という感覚が続いてることを指している。

最初に書いたことに当てはまる人はほとんどそうだと思う。

 

まず最初に区別しておきたいのは、あくまで"何か"をやらなきゃという感覚が強いことを指す。

特定のやらなきゃいけないことがあってそれで脳がいっぱいになっている場合は違う症状で、それはタスク管理/整理である程度緩和できる。

 

常に何かやらなきゃ、というそわそわした状態で生きる。

これは非常にとっても消耗する生き方だなと思う。

僕も最近気づいてちょっとずつ改善しているが、

該当する人はぜひ弊害と改善策を知っておいて欲しい。

 

 

なんかやらなきゃ病の原因と弊害

なんかやらなきゃ病の原因は僕の場合

面倒くさがり × 自分を高めたい

という掛け算によって生まれていると思う。

(ここはもしかしたら人によって違うかもしれない)

 

思考をできるかぎり言葉で説明しようとするのなら、

 

1.やりたいことや新しく始めたいことはある

2.それらは腰を据えて長い時間やらなければならないし、うまくいく保証もない

3.着手するのが億劫になってくる

4.でも何もしないというのは時間を無駄にしている感じがする

5.なのでとりあえず手っ取り早くできるものに飛びつく

6.それが繰り返され、本当にやりたいことではなく時間を埋める行動が多くなる

 

といった感じだ。心あたりがある人もいるかもしれない。

 

なんかやらなきゃ病は、無の時間からの回避行動とも言える。

つまり現在からの逃避行動に近い。

 

続きはまた後ほど追記します。